私は最近サウナに行くのが好きです。

昨年ドラマ「サ道2021」を何となしに毎週観てるうちに、少しずつ気になり始め「ちょっと行ってみようかな」と思ったのが始まり。
このドラマは同じサウナに通う3人の男性を軸に、彼らやその周辺で起こるちょっとした出来事を独特な空気感で描いていくものであり、毎回サウナは出てくるものの「サウナの入り方」を特別レクチャーしてくれるわけでもないのですが、観ているとどうも「入り方」があるらしいと。
私もそれ以前にサウナに行ったことはありましたが、何も考えず限界まで「一人我慢大会」をして「あちー!!」と言って出る、という入り方。
そこでちょっと調べてみると、例えば「サウナ10分→水風呂2分→外気浴5分」を1セットとしそれを3セットほど繰り返すといった「入り方」がどうもスタンダードらしいということを知ります(時間やセット数には皆さん色々おこだわりがあるようです)。
そのやり方に準じて行ってみると、これはなんだか「気持ちいいぞ」特に外気浴の時「すごい気持ちいいぞ」となり、それ以来定期的に通っています。
そんなサウナ歴1年程度のサウナ初心者です。

ただ、私は今でも「ととのう」という感覚がわかりません。
「ととのう」とは、サウナ好きの間でサウナで気持ち良くなった時(特に外気浴の時)の感覚を表現したもののようです。(先述のドラマの原作漫画で初めて使われた言葉のようです)
この「ととのう」という言葉を初めて聞いた時、それを未経験だった私にはとても特別な感覚なんじゃないかと感じられ、是非それを味わってみたい、と思ったのもサウナに行くきっかけになりました。

でも実際サウナに行ってそれなりの入り方をして「気持ちいい」とはなりますが「ととのった」はわからない。
「ととのう」ってもっと何かすごいんじゃないの? 「ととのった」を理解したくてサウナ→水風呂→外気浴の時間を変えてみたり、サウナ前後の風呂の入り方を変えてみたり…色々試しました。
でも、結局わからない…

ただ最近、これは、①「感覚→言語化」と②「言語化されたもの→感覚として理解する」という順番の違いなんじゃないかとふと思いまして。

①は
1.元々サウナで気持ち良くなっていた人たちにとっては「『気持ちいい』という言葉以上の何かがあるけどそれ以上上手く言語化できない」という表現のモヤモヤ感があった

2.そこに「ととのう」という言葉が生まれた(生み出した人がいた)

3.1でモヤモヤした人たちが「そうそう!これだ!「ととのう」だ!」となった(全ての人でないにしても)
という「モヤモヤが晴れてスッキリした!」的な感覚

②は
1.どうも世の中には「ととのう」という感覚があるらしい

2.では私もその「ととのう」を是非経験してみよう

3.気持ちいいけど、これって皆さんが言ってる「ととのう」と合ってるのかな? そこまでいってるのかな?
という「自分の感覚が既に言語化された感覚と合っているのか? という懐疑」的な感覚

①の人は、元々自身にあった感覚が的確に言語化された気持ち良さがあるので「ととのう」が心の寸法良しですんなり受け入れられる
②の私は、私の経験以前に「ととのう」という言葉があったことによる、自分の感覚と「ととのう」との答合わせができない状態

ということな気がしています。

こういうことって他の色んなことでもあったりなかったりしませんか? (あ、ないですかね? すみません)

まあ、面倒なことを書いてきた気もしますが、とりあえずまた今からサウナでも行ってきます。
だってサウナ行くと「気持ちいい」から。